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プレイリー・スチュアート・ウルフ

ひと粒から生まれる恵み ひと粒から生まれる恵み

ひと粒から生まれる恵み

和久傳のふるさと、丹後半島の、山の上の方、地形が許す限りいちばん高いところに、棚田が作られている。そのさらに上、野生のイノシシや鹿が徘徊する松林にある滝から、冷たい澄んだ水が流れ出て、田んぼを満たす。七月の高い空の下、田んぼの浅い水の中には無数のおたまじゃくしが泳ぎ回っている。夏が進むにつれて緑は濃くなり、秋が近づくと重たい稲の穂が緑の葉の間からこうべを垂れる。おたまじゃくしは太ったカエルになり、実りを食い荒らすバッタが好物だ。この田んぼの責任者であり、米を種から収穫まで導く本田進が、バッタを手で捕まえる。こいつと雑草とが、彼にとって、避けられない敵なの だ。

25年以上前、本田は父親から引き継いだこの田んぼを有機農法に変えた。自分の幼い 娘がひどいアトピーに苦しんでいたときだった。医者は治らないものだといい、それは父 親としては簡単に受け入れられることではなかった。彼は、人間の体は自らが食べるもの で出来ているのだから、娘の状態は彼女が食べた食品中の残留農薬がもたらしているので はないかと推論した。収穫量が減り、雑草や虫との戦いを受け入れなければならなかった が、彼の決心は固かった。いま、彼のイセヒカリの田んぼは、見事に逞しく育っている。

イセヒカリの伝説は、この小さな島国の歴史と心とに連なっている。この国では何世紀 にもわたって気まぐれな神々が天候を操ってきた。三重県の伊勢神宮を強力な台風が襲い、 神聖な田を壊滅させた後、痛んだ稲の中の数本がわずかに生き延びているのが見つかった。 果てしない損害の中の、小さな恵み。この奇跡の稲はその後、種の名前であるコシヒカリ ではなく、特別に「イセヒカリ」と呼ばれることに決められた。

イセヒカリが伊勢神宮から和久傳まで辿り着き、そして本田の田んぼに植えられたこと も、恵みだった、と女将の桑村祐子は言う。精米されないままの穂がついた数本の稲が、 大切なお客さまから贈られた。それは、その頃彼女が感じていた、料亭の食事はただ美味 しいという以上のものでなければならないという気持ちと響き合った。匿名の、物語のな い素材から離れること。健やかなエコシステムを作ろうとしている生産者たちの、育ちつ つあるコミュニティに参加すること。それは、彼女の京都の料亭が、料理の核となる素材 との関係を深め、食事に来るお客さまに滋養のあるより良いものを提供できることにつながっていく。

種には無限の可能性がある。手のひらに持てば、文字通り未来を手にすることができる。ひと粒の米から何千もの米粒が生まれ、程なく本田は和久傳のためにまとまった量のイセ ヒカリを作りだせるようになっていた。いま、毎年5月に、和久傳の従業員とゲストたち とが京都から丹後の山を訪れる。半日、共に腰をかがめ、泥の中に苗を植える。夏の暑い 日々から、秋の収穫を迎えるまで、毎週従業員が丹後を訪れて田んぼの世話を手伝う。

京都の厨房では、料理人が、自たちが植えた米から作った麹を扱う。食事の席ではサー ビスのスタッフがお客さまに酒を注ぎながら、その原料の米が育った田んぼの雑草を自分 たちで抜いた話をしている。一年を通して、米粒の一生が、京都の料亭と丹後とをつない でいる。

2018.01.01

筆者紹介

プレイリー・スチュアート・ウルフ

料理が大好きな、文筆家、写真家。2007年に来日し、すぐに日本の食文化の深さと美しさに気づく。日本の食の素材、考え方、そして実践を生活の中で見つめるブログ「Cultivated Days(日々を耕す)」を記し続けている。asdasdasdsfsf

https://cultivateddays.co